わたしにとっての1月17日という日
25年前の1月17日、阪神淡路大震災がおきたことを決して忘れてはいけない。
追悼の気持ちを持って今日を過ごします。
わたしにとっては他にも意味のある日。。。。
今日わたしがしたこと。
11時にルノアールで証券会社の人と会い、
新しい商品の話を聞いた。
その話を聞いた後、ルノアールに残り
父と母にバースデーカードを書いた。
父の誕生日が今日1/17で、
母の誕生日が明日1/18なので。
誕生日プレゼントは、
父へは『美女(←わたしよ、わたし(^^)v )と行く焼き鳥屋ご招待』券。
母へは『孝行娘(←わたしよ、わたし (^^; )と行く女子会ランチ』券。
そんな手作りチケットをカードに挟んだ。
二人とも高齢なので、品物でなく一緒に過ごす時間を贈りたいと思っている。
ルノアールを出て、すぐ近くのゴルフスタジオでゴルフの自主練。⛳️🏌️♀️
明後日のラウンドに備えて、アプローチの練習をちょろっとした。
その後…先ほど書いたバースデーカードを届けに実家へ行った。
二人とも、とても喜んでくれて、一緒に出かけることを楽しみにしていると言ってくれた。
なるほど、これからもこの手で “鼻先にニンジン🥕をぶら下げて”、
長生きしてもらおう!
そしてそれから………
愛犬が眠る 動物慰霊堂 へ。
東京スカイツリーのたもとへ自転車で走ること30分。
風が冷たかった 🥶
今日は愛犬の命日である。
あの子が逝ってしまってから四年が経った。
あの日のことは絶対に忘れない。
わたしのあの子は、長い間 癌と闘って逝った。
壮絶な闘病の日々だったけど、あの子の頑張る姿は凄かった。
最期の2カ月は、いっときも離れることなく過ごし、
ずっと身体を撫でてあげていた。昼も夜も……。
眠ったなと思い、撫でる手を離すと、「手を離さないで」と切ない声で鳴いた。
そんな日を過ごした四年前の1月17日の夕方、
家族のみんなが帰って来るのを待って、あの子は逝った。
わたしは人目をはばからずわーわー泣いた。
息子たちはわたしが泣く姿を初めて見て、強い母ちゃんも泣くことを知り、
母親というものが、愛するものを失ったときどうなるかを知ったようだ。
あの日はそれから雪になり、東京では珍しいほどに降り積もり、
翌朝、出棺の時には辺り一面が真っ白だった事を忘れない。
あの子の旅立ちを見送った後、
息子たちがどこかへ出かけたと思ったら、
呆けているわたしの為に、キャンキャンと鳴くオモチャの犬を買って来てくれた。
息子たちの想いが嬉しくて、また泣いた。
あれから四年目の1月17日の今日、
今年もまた逝ってしまった愛犬を恋しく思う。
優しくて、愛情深く、おおらかで、我慢強くて、そして勇敢な犬だった。
そして、こんな言葉を思い出すのである。
『 子供が生まれたら 犬を飼いなさい。
子供が赤ん坊の時、子供の良き「守り手」となるでしょう。
子供が幼年期の時、子供の良き「遊び相手」となるでしょう。
子供が少年期の時、子供の良き「理解者」となるでしょう。
そして子供が青年になった時、
自らの死をもって子供に「命の尊さ」を教えるでしょう。』
もう何年かしたら、1月17日にぶり返す哀しみは薄れていくかしら?
誕生日を祝う親がいてくれる日々が、
どうかまだ長く続きますように。
いつも少しセンチメンタルな1月17日です。
明日はにっこり笑顔になりましょう 🤗